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2017.09.13 富士山吉田口 馬返しから五合目に登ろう!! 後編  back
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細尾野橋
11:53
護岸工事された沢
11:53
心癒す野鳥
11:55
露出した岩盤
12:09
岩盤掘削の登山道
12:09
11:53 細尾野橋 三合目(三軒茶屋)を出るとすぐ裏側に細尾野橋があります。
11:53 護岸工事された沢 細尾野橋の沢は、溶岩流ではなく砂地があるらしく、沢の壁に砂防工
     事されていました。
11:55 心癒す野鳥 小さな野鳥が、私の前を距離を保ちながらチョンチョンと飛んでいきます。
     そんな野鳥に魅かれて一枚撮りました。
12:09 露出した岩盤 登山道に黒っぽい岩盤が現れ始めました。古富士の溶岩流が露出してい
     るところらしい。
    (10/5追記 これは約2万年前に富士山の元型の古富士の火山活動の際に、泥流を含んだ
     火砕流の流出(古富士泥流)によって形成されたものだそうです)
12:09 岩盤掘削の登山道 ここは登山道の両側に黒っぽい岩盤が見れます。古富士の溶岩流
     を削りとって木で階段状の登山道にしたらしい。
     三合目から4合目にかけては、このように木の階段が多いようです。
     この区間の所要時間は約30分でした。 


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四合目からの展望
12:25
大黒小屋説明板
12:23
大黒小屋説明文
12:23
大黒天像写真
12:24
大黒天室跡?
12:25
12:25 四合目からの展望 四合目も前が大きく開けていて展望がよいです。
12:23 四合目大黒小屋説明板 四合目には大黒小屋と呼ばれる山小屋がありましたが、現在建
     物は残っていません。
12:23 大黒小屋説明文 大黒小屋説明文によると『元々、市内上吉田の御師である大国屋所有
     の小屋であったと伝わる。小屋には、江戸の本郷竹町(東京都文京区本郷)の人が寛政12
     年(1800年)に奉納した大黒天像が安置されている。夏の初めには厨子に入ったこの大黒
     天像を背負子に背負って登り、秋には家に持ち帰って床の間に安置した。』とあります。
12:24 大黒天像写真 
12:25 大黒天室跡? 小屋の跡地に石碑が建っていたけれど、ここが大黒天を祀った社跡だろ
     うか?



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石畳の階段
12:32
岩だらけの登山道1
12:33
岩だらけの登山道2
12:36
岩だらけの登山道3
12:38
井上小屋が現れた
12:40
12:32 石畳の階段 四合目の大黒小屋跡を発つと間もなく石畳の階段が出てきました。
12:33 岩だらけの登山道1 登山道が石や岩だらけになってきました。
12:36 岩だらけの登山道2 
12:38 岩だらけの登山道3 
12:40 井上小屋が現れた 岩だらけの登山道を登って行くと、やがて四合5勺にある井上小屋
     (御座石小屋)が見えてきました。
     四合目から四合5勺の間は、歩き辛らさは無かったけれど、岩だらけの登山道が多かった
     です。所要時間は約15分でした。


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四合五尺御座石解説
12:40
御座石
12:41
御座石に「日本橋」
12:41
井上小屋
12:42
井上小屋からの展望
12:42
12:40 四合五尺御座石解説 『左手に立つ岸壁が御座石です。
     御座石とは神の依り付く石のことで、かってはこの石の上に浅間明神と日本武尊の祠が祀
     られていました。
     ここはすでに戦国時代に御座石と呼ばれており「女性禪定の追立」の場とされていました。
     江戸時代になると二合目以上が女人禁制とされましたが、それ以前の戦国時代には女性
     は、ここまで登ることが許されていたようです。この岩は、古い時代における女人禁制の場
     を象徴するものでした。
     この場所は、四合目と云われた時代もありましたが、現在では五合目となっています。』
     と解説されていました。
12:41 御座石 登って行って正面左側、山小屋の左側の岩峰です。この上に浅間明神と日本
     武尊の祠が祀られていたのです。富士講を結成した人びとが信仰上の開祖として崇拝
     した人物、長谷川角行の修業の地であったと伝えられています。
12:41 御座石に「日本橋」 御座石の一番目立つ所の岸壁に「日本橋」と刻まれたのが目につき
     ます。富士講の講の名前でしょう。
12:42 井上小屋 御座石小屋とも言われていました。小屋の庇の下に「五合目焼印所」などと
     大きな字で書かれています。かっては五合目と云われていましたが、今は四合五勺と云わ
     れているようです。
12:42 井上小屋からの展望 ここからの展望も非常に素晴らしいです。



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岩だらけの登山道
12:47
五合目館跡
12:53
桂屋跡
13:03
中宮説明板
13:10
中宮説明文
13:10
12:47 岩だらけの登山道 井上小屋(御座石小屋)を発つと岩だらけの登山道になりました。
     ジグザグした九十九折れの登山道が続き、小屋跡が右手に、左手にと出てきます。
12:53 五合目館跡 先ずは100mほど登ると右手に五合目館跡が見えてきます。
13:03 桂屋跡 更に、少し長いけれど2〜3回ジグザクを繰り返し200mほど登ると左手に桂屋
     館跡が出てきます。
13:10 中宮説明板 更に二曲ほどして150mほど登ると右手に早川館跡が出てきますが、早川
     館跡の手前に中宮説明板が出てきます。
13:10 中宮説明文 説明文によると『ここから先の一帯は、「中宮」「天地の境」と呼ばれる領域
     で、富士山を三区分する草山・木山・焼山のうち、木山と焼山の境界にあたります。
     ここから連続して四軒あった山小屋は、江戸時代には総称して中宮役場と呼ばれて
     いました。それぞれの小屋では、登山者から山役銭(入山料)を徴収していましたが、
     後には麓で前払いすることになり、その証明として交付された登山切手を改める場所
     となりました。
      四軒の中宮役場の先には、江戸時代まで中宮社があり、浅間・大日・稲荷が祀られ
     ていました。』とあります。



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五合目 早川館説明板
13:13
早川館説明文
13:14
明治末早川館の写真
13:14
明治末早川館休み場
13:14
天地界館の跡地
13:16
13:13 五合目 早川館説明板 早川館跡を右手に見て登って行くと、一番奥に説明板がありま
     した。写真は、今登ってきた方を見返して、説明板と跡地を写しています。
13:14 早川館説明文 早川館の説明文によると『江戸時代から続く山小屋で、この近くには
     稲荷を祀る祠があった。ここから早川館を含め4軒の小屋が建ち並ぶが、この辺りを
     中宮という。江戸時代は、入山時に122文を支払わなければならなかったが、その
     際に渡された登山切手を、これら中宮の小屋が改めた。
      18世紀前半までは、この少し西側に18軒の小屋が建ち並んでいたが、その後、
     この4軒のみを残し、あとの小屋は五合目より上に移ったという。』と解説していました。
13:14 明治末早川館の写真 説明板に載っていた写真です。登山道左側に休み場、右側に小屋
     が写っています。
13:14 明治末早川館休み場 説明板に載っていた写真です。昭和初めの紳士淑女と子供が写っ
     ていて往時の風情が感じられます。
13:16 天地界館の跡地 早川館跡から6〜70m登ると左側に天地界館跡が見えてきます。
     この天地界館は昭和30年に移転して、現在の七合目トモエ館となっているそうです。
 


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五合目たばこや説明板
13:19
たばこや説明文
13:20
昭和16年稲荷社前写真
13:20
たばこや跡
13:20
現在の富士守稲荷社
13:20
13:19 五合目たばこや説明板 天地界館跡から6〜70m登ります。この間登山道は左にカーブし
     ます。すると右側にたばこや跡が出てきます。たばこや跡地の前方角に祠らしきものが
     見えます。
13:20 たばこや説明文 『江戸時代から続く山小屋で、早川館と同じく中宮の小屋の一つである。
     奥にある社には富士守稲荷が祀られ、文久3年(1683)に奉納された扁額がある。
      富士講の人々は、まず登山口の上吉田に着くと、小屋主の住まいである支度所で行衣
     に着替えてから、このたばこやを目指した。登山者が山小屋近くまで登ってくると、小屋
     主は布マネキ(富士講の名前を染抜いた布)をもって、少し下まで迎えにいった。そして、
     小屋に一泊した登山者は、早朝の出発時に稲荷社にお参りしていった。また、小屋からの
     見晴らしもよく、ご来光もよく見えた。』と書かれていました。
13:20 昭和16年稲荷社前写真 説明板に載っていた写真です。
13:20 たばこや跡 現在のたばこや跡地。綺麗に整地されていました。
13:20 現在の富士守稲荷社 大分傷んでいるけれど、真ん中の写真昭和16年稲荷社前写真の
     面影を留めています。 


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五合目不動小屋説明板
13:23
不動小屋説明文
13:23
江戸後期の中宮の絵
13:24
社の復元図
13:24
復元 雲切不動神社
13:24
13:23 五合目不動小屋説明板  たばこや跡から6〜70m登ります。この間登山道は右にカーブ
     します。すると左側前方に五合目不動小屋説明板が出てきます。奥に不動神社の祠らしき
     ものが見えます。
13:23 不動小屋説明文 江戸時代から続く山小屋で、早川組と同じく中宮の小屋の一つである。
     奥にある社には、不動明王が祀られ、小屋の名前の由来ともなっている。また和光氏が
     経営していたことから、和光小屋ともいう。
      この上には、大日社・浅間社・稲荷社の三社があり、中宮三社と称された。中宮のあた
     りを天地の境といい、これから上の石山(焼山)といわれる砂礫地と、この下の木山とわれ
     る林地との境となっている。こうした山の境界であった中宮は、頂上の遙拝地でもあり、
     登頂のできない者がここで頂上を拝したのだろう。また、ここより上は、富士山の神仏
     の住まう聖域であり、古くはこれより上に小屋を建てることは許されなかった という。』
     と解説していました。
13:24 江戸後期の中宮の絵 説明板に載っていた中宮の絵です。奥には鳥居が見えます。不動
     神社らしいです。
13:24 社の復元図 説明板に載っていた復元図です
13:24 復元 雲切不動神社 標示板にあった復元図から推すと、これが雲切不動神社らしいで
     す。建物に何も書いてなく確認できませんでした。
 


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滝沢林道の柵
13:29
滝沢林道
13:29
右手林間に富士守稲荷社
13:33
登山道標
13:33
稲荷社前を登る
13:34
13:29 滝沢林道の柵 不動小屋(和光小屋)から5〜60m進んで左側に曲がります。この曲がり角
     の右側に五合目救護所跡があったらしいけれど見逃してしまいました。
     前方に滝沢林道に接した進入防止柵が見えてきます。
13:29 滝沢林道 林道に到着しました。旧登山道は林道を横断して左側に登っていきましたが、
     林道が出てからは林道を使い登って行きます。林道をを50mほど登って行くと、左側に
     カーブし、更に100mほど登って行きます。
13:33 右手林間に富士守稲荷社 やがて右手の林間に富士守稲荷社がチラチラと見えてきま
     す。
13:33 登山道標 道標が出てくるので、そこを右側に折れて、登って行きます。
13:34 稲荷社前を登る 富士守稲荷社前を通って登って行きます。
 


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快適な登山道4〜5分
13:34
トリカブト
13:34
キオン
13:35
トリカブト
13:38
再度滝沢林道
13:38
13:34 快適な登山道4〜5分 ここは120m程度の短い距離ですが遊歩道みたいに快適です。
13:34 トリカブト 
13:35 キオン 
13:38 トリカブト 花が一杯咲いていました。
13:38 再度滝沢林道 再び先ほどの滝沢林道が出てきました。これは、先ほどの林道が前方で
     方向を変えて小御嶽神社方向に向かっているものです。
     丁度そこがゲートになっていてゲートは閉鎖されたいました。
      因みに、この下の四合目にもにもゲートがあって通年閉鎖、進入禁止になっています。
     ここまでは自家用車でこれます。ゲート手前には駐車スペースもありました。
     (要確認 県営富士・東部林務環境事務所 電話番号:0554-45-7891(吉田方面) )  


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林道横断佐藤小屋へ
13:39
佐藤小屋到着
13:41
小屋前の綺麗なトイレ
13:43
工事車のある広場
13:43
佐藤小屋からの展望
13:47
13:39 林道横断佐藤小屋へ 林道を横断して右上前方を眺めると、佐藤小屋の屋根が見えて
     いました。おおよそ50mほどの登りです。佐藤小屋の手前で左下を眺めると広々と
     した空き地が見えました。かっての登山道沿いの小屋・富士の家跡かも知れません。
                                                     (未確認)
13:41 佐藤小屋到着 四合五勺の井上小屋(御座石小屋)を発って佐藤小屋に到着するのに
     約一時間かかりました。この間、五合目銀座の色々な小屋跡を見ることが出来ました。
13:43 小屋前の綺麗なトイレ 佐藤小屋の前にトイレが建っていました。入口の左に「使用料
     200円」と小さな表示が有りました。 引戸を開けて中を覗くと綺麗でトイレでした。(泡洗
     浄式/洋式)
     トイレの隣室が更衣室で使用料は無料のようです。
13:43 工事車のある広場 佐藤小屋を抜け西の方に進むと、開けた所に出ました。
     ここから左側に登って行けば頂上へ、直進すれば小御嶽神社方向に向う分岐点になって
     います。
13:47 佐藤小屋からの展望 木山を抜け出て下界の見晴らしは非常に良かったです。当日は
     曇っていてハッキリとした景観が見れなくて残念でした。
     12:45 井上小屋(御座石小屋)を発って、13:40に五合目の佐藤小屋に到着しました。
     井上小屋からの所要時間は約55分でした。

     8:45に馬返しを出立して、13:40に佐藤小屋に到着、登りの所要時間は約5時間でした。
     写真を撮ったり、説明文を読んだりの大分ゆっくりした登りでした。
     これから早速下山します。行動食は都度とっているけれど、まだ昼食は食べていません。
     三合目(三軒茶屋)あたりで食べようと思います。


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三合目帰着
15:14
細尾野林道帰着
15:23
御室浅間神社鳥居着
15:40
馬返し帰着
16:18
馬返し駐車場帰着
16:23
15:14 三合目帰着 眺めが良い所です。ここで下界の景色を眺めながら、熱湯で3分のカップ
     ラーメンを食べました。
     登る時に話を交わした女性3名のグループの声が薮の中から聞こえてきます。彼女らは
     キノコ狩りのようでした。間もなく姿を現したけれど、またすぐに薮の中に入って行きま
     す。陽も大分傾いてきたというのに不安げもありません。羨ましい限りです!!
15:23 細尾野林道帰着 
15:40 御室浅間神社鳥居着 登る時に見落とした鳥居跡が目に入りました。2合目の御室神社
     の下約100mの処でした。参考資料によると鳥居跡は1合5勺と記載されていたような気が
     します。ここで良いのか少々不安です。
16:18 馬返し帰着 
16:23 馬返し駐車場帰着 無事に駐車場に到着です。
     13:50に5合目の佐藤小屋を出て、16:23に無事馬返しに到着しました。下山の所要時間は
     約2時間30分でした。

     かえりみれば朝8:45に馬返しを出立して、16:23に馬返し帰着。歩行総時間は7時間40分
     登山道は整備されていて歩き易く迷うところはありません。静かで気持ちの良い山行きで
     した。


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