2017.09.13 富士山吉田口 馬返しから . 五合目に登ろう!! 前編(馬返しから三合目) | ||||||||
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[本日の写真(65枚)] | ||||||||
馬返し駐車場到着 08:19 |
左側にバス停登山口 08:20 |
正面に仮設トイレ 08:21 |
右側に駐車スペース 08:24 |
遊歩道出入り口 08:26 |
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08:19 馬返し駐車場到着 08:20 左側にバス停/登山口 富士山駅からバスが通っています。其の横が登山道入り口です。 08:21 正面に仮設トイレ 登山シーズン以外は撤去されているので注意が必要です。 08:24 右側に駐車スペース 25〜26台駐車できます。通年使用できるようですが冬季は除雪さ れないようです。 08:26 遊歩道出入り口 北口浅間神社からの遊歩道の出入り口は右側最奥にあります。 | ||||||||
馬返しへの道 08:31 |
大文司屋(明大山荘) 08:33 |
馬返し説明板 08:34 |
馬返し石碑群 08:36 |
馬返しの参道 08:36 |
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08:31 馬返しへの道 登山道入り口から道なりに登って行きます。 08:33 大文司屋(明大山荘) やがて右側に大文司屋が見えてきます。大文司屋は現在明治 大学山岳部が管理しています。夏山シーズンには富士吉田市が発行する「富士登山 認定証」の申請書を配布しているそうです。 申請書に山頂の写真を添えて提出すれば認定証が頂けるそうです。 08:34 馬返し説明板 馬返しは,馬に乗ってきた登拝者もここから先は下馬して歩いて登 る場所です。 江戸時代の吉田口は,麓から草山・木山・焼山という3区分で呼ばれてきました。 馬返しから五合目までの樹林帯は木山とよばれていました。 また,樹林帯(木山三里)へ入ると富士山が見えなくなることから,その手前の 馬返しで富士山頂を遥拝したという歴史的な場所でもあります。 08:36 馬返し石碑群 登山道の左側には富士講関係の碑が沢山並んでいました。 08:36 馬返しの参道 緩い坂を登って行きます。 | ||||||||
馬返しの鳥居 08:40 |
禊所の説明文 08:43 |
大正期の鳥居・禊所 08:43 |
禊所跡 08:41 |
左折を示す道標 08:43 |
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08:40 馬返しの鳥居 鳥居の前に「猿」がお出迎えしています。 猿の年に一夜にして富士山が出現したという伝説により富士山の使い手が「猿」とされて いるようです。 08:43 禊所の説明文 『古来よりここから先は、富士山の聖域とされていました。これより先へ向 かう道者(信仰のために登山をする人々)は大正期頃よりここでお祓いを受け、身を清めて 山頂を目指しました。そのため、この禊所は「オハライサン(お祓いさん)とも呼ばれていま す。 明治頃までは鳥居から一合目まで、直線的な登山道が通じていましたが、登山道を迂回 させる新たな道ができ後、旧道跡にこの禊所が建てられていました。』と解説しています。 (大正初期に馬で上まで行く登山者のために左に迂回して新しい道が出来たので、旧道跡 地に禊所が建てられた。ということらしい。禊所を造ったから新登山道を造ったのではない) 08:43 大正期の鳥居・禊所 説明板の中の写真です。鳥居の奥に禊所が写っています。 08:41 禊所跡 現在は禊所が撤去されています。新たな道が出る前の旧登山道が真っすぐ一合 目の大日社(現在の鈴原天照大神社)に向かっていたのが良く分かります。 08:43 道標が禊所の前で左折しているのがハッキリ知れます。 | ||||||||
浸透枡 08:45 |
洗掘跡 08:48 |
浸透枡 08:47 |
側溝にも浸透枡 08:54 |
目前に一合目 09:01 |
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登山道を守る色々な手段・方法が知れました。 08:45 浸透枡 雨水や雪解け水を溜めて泥を沈殿させる枡と水を吸い込む枡で構成されている ようです。これで流水とならず洗掘されないようにしているようです。 沈殿枡に溜まった砂泥や目詰まりした浸透枡の土砂は適時掘り出して脇に捨てている 管理の跡が伺えます。 08:48 洗掘跡 雨水や雪解け水に洗い流されて出来る洗掘の跡です。 登山道の管理が行き届いてるのでハッキリと分かるような洗掘跡は有りませんでした。 08:47 浸透枡 08:54 側溝にも浸透枡 丸太で側溝が造られ、側溝の中にも浸透枡が造られていました。 09:01 目前に一合目 馬返しから一合目までは15分程度で到着しました。 | ||||||||
一合目鈴原天照大神社 09:02 |
大日如来社説明板 09:05 |
馬返し方面を見る 09:03 |
振返り神社を見る 09:04 |
品格ある神社 09:04 |
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09:02 一合目 鈴原天照大神社 到着したので神社の写真を撮りました。なにか神社と云う 風情があまり感じられませんでした。 09:05 大日如来社説明板 『鈴原社は、記録の上ではすでに戦国時代にその存在が知られ ています。古くは大日堂、大日社、大日如来社、鈴原大日などと呼ばれ、本尊には 密教の最高仏の大日如来を祀っていました。富士山の神である浅間明神は、仏でいう と大日如来にあたることを、登山する人々にまず知らしめるために、吉田口登山道の 最初の社であるここに安置したのだとされています。大日如来社が建つこの場所が 一合目とされたのはそのためでした。』と説明されています。 09:03 馬返し方面を見る 馬返しから鈴原天照大神社に向かった登山道が見れるかも知れない 鈴原天照大神社の真正面を北側に歩いて行くと階段の上に立ちます。 階段の下を覗くと真っすぐ北の馬返しの方向に登山道が伸びていました。 09:04 振返り神社を見る 階段を3、4段下りて振返ると参道の向うに鈴原天照大神社が 真正面に見えます。参道の両側には富士講のものと思える石碑が並んだいました。 09:04 品格ある神社 神社に向かって歩を進めると、両脇を大樹に守られて真ん中に神社 がある落ちついた景色が見れました。 | ||||||||
石畳みの排水路 09:07 |
丸太作りの排水路 09:09 |
レッキス社跡地 09:24 |
石畳の登山道 09:33 |
御室浅間鳥居跡 09:33 |
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ここでも登山道を守る色々な手段・方法が知れました。 09:07 石畳みの排水路 <登山道を守る色々な手段・方法> 09:09 丸太作りの排水路 <登山道を守る色々な手段・方法> 09:24 レッキス社跡地 此処は一合目から二合目の丁度中間地点です。 説明板によると、『大正15年(1926年)頃開業した小屋で、一合五勺に 位置する。小屋の名前は、今のカルピスと類似するレッキスという飲料水を販売していた ことに由来するとされる。 なお、此の近くには西念寺持ちの足軽地蔵堂があったとされ、この足軽地蔵を祈ると 登山の足が軽くなったという。』などと解説されていました。 09:33 石畳の登山道 <登山道を守る色々な手段・方法> 09:33 御室浅間鳥居跡 二合目の御室浅間神社の手前約100m位の所に鳥居の跡(礎石)が 見れます。これを見れば、間もなく二合目です。 此の写真は、登る時に見過ごしてしまったので下山時に撮ったものです。 一合目から二合目への所要時間は大よそ1時間程度でした。 | ||||||||
御室浅間神社説明板 09:51 |
浅間神社の残骸1 09:52 |
浅間神社の残骸2 09:53 |
浅間神社の祠 09:54 |
二合目石碑群 09:54 |
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09:51 御室浅間神社説明板 『富士山の神である浅間明神(木花開耶姫)を祀った神社で、 富士山中で最初に建設されア神社であるという。北室・室ノ宮とも呼ばれていた。 河口湖の南岸にある勝山村の里宮御室浅間神社の山宮にあたる。また、ここの御室 浅間を「上の浅間」というのに対して、上吉田の北口浅間神社を「下の浅間」と称 した。本殿は現在、麓の勝山村に下ろされている。 江戸時代まで、ここから先は女人禁制であった。』と記されています。 09:52 浅間神社の残骸1 09:53 浅間神社の残骸2 09:54 浅間神社の祠 中は空のようです。 09:54 二合目石碑群 富士講の石碑が写っていません。石碑はもっと右側にありました。 | ||||||||
御室神社橋 10:06 |
溶岩流枯沢の御釜 10:06 |
意味不明の柵 10:13 |
綺麗な石段 10:16 |
細尾野林道の柵 10:17 |
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10:06 御室神社橋 神社を抜けるとすぐ溶岩流の枯沢に御室神社橋がかっています。 10:06 溶岩流枯沢の御釜 沢の上流を眺めると溶岩流の岩にすっぽりと口をあけた「御釜」と呼 ばれる孔が見えます。溶岩流が冷えて固まる時にできた空気孔だろうか? 10:13 意味不明の柵 此の柵の向うの広い所に金剛杖を売っていた「金剛杖役場跡」や其の前 に女性の立ち入りを取締まった「内改役所跡」が有るらしいけれど其れらしき所を見つ けられませんでした。 10:16 綺麗な石段 石畳の綺麗な階段を上がって行きました。 10:17 細尾野林道の柵 この柵を通過すると細尾野林道です。此処が丁度二合目と三合目の 中間地点になります。 二合目から細尾野林道までの所要時間は約15分でした。 | ||||||||
林道右奥が登山口 10:20 |
林道左側に仮設トイレ 10:18 |
林道左トイレ側に進む 10:18 |
三つ目沢向うに道標 10:35 |
女人天上入口 10:36 |
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10:20 林道右奥が登山口 車止めの柵のところで、右側を見ると林道は終点になっています。 そして頂上への登山道が見えていました。 10:18 林道左側に仮設トイレ 左側を眺めると夏季シーズンだけの仮設トイレが建っていました。 この先、五合目の佐藤小屋までトイレが無いようです。 10:18 林道左トイレ側に進む 細尾野林道に入り、東側のトイレの前を通過して「富士山遥拝所 女人天上」を目指します。 10:35 三つ目沢向うに道標 水の流れていない溶岩流の枯沢を三つほど越えて行きます。 10:36 女人天上入口 すると林道右側に「女人天上」への道標が出てきます。 細尾野林道、ここまで距離にして約500m、時間にして15分位でした。 | ||||||||
女人天上への道 10:42 |
女人天上到着 10:56 |
女人天上説明板 10:52 |
女人天上遙拝所石碑 10:51 |
富士山見えず 10:54 |
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10:42 女人天上への道 女人天上の入口から山頂目指して0.5Kmほど登って行きます。 細尾野林道をこのまま直進すると中の茶屋から分岐した滝沢林道に出ます。 余談ですが、滝沢林道出合(細尾野林道起点)から少し下った所に新屋の「山の神」の 奥宮が有ります。この山の神に祈願すれば高額な「宝くじ」に当たるそうでして、大層人気 があるらしいです。 10:56 女人天上到着 登り始めから到着するまでの所要時間は約15分でした。 10:52 女人天上説明板 『富士山は、三国一の霊峰として、修験道の往古から、八百八講といわ れ、富士講華やかな江戸時代に及ぶまで御縁年に限り、男性は頂上まで、女性は二合目 行者堂七日間の行を終えたもののみが四合五勺御座石浅間神社まで、4月から8月まで の間登ることを許された。 その他の年には、男性は百日の行を終えたものが頂上まで、また女性は二合目御室浅間 神社まで、六・七の両月に限り登ることを許された。 此の禁制は厳しく守られたので、六・七両月以外に登山するものや、無行法のものは、 細尾野のこの丘上に来て、頂上を拝し、御来光を迎えた。遙拝所・御来迎場と云われる 所以である。 ここまで登ることを許されなかった女性も、密にここまで来て、山霊を遙拝したので、 女人禪定、一般には女人天上と呼ばれていた。この禁制は、明治五年の神仏分離の時ま で守られていたが、この禁制が解かれるに至って、ここを訪れる人も殆どなくなった。 爾来百余年、由緒あるこの霊場も忘れ去られ、所在すら定かでなかったが、この度、 すその路郷土研究会の努力により、確認することを得たので、ここを史跡として指定する ものである 昭和55年10月25日』とありました。 10:51 女人天上遙拝所石碑 10:54 富士山見えず 山頂付近は雲が掛っていて頂上を拝めませんでした。周りの樹林が伸び ています。果たして遙拝と御来迎が出来るでしょうか?この先確認のチャンスがあれば いいですね。 | ||||||||
女人天上登山口に着 11:06 |
細尾野林道終点着 11:24 |
山頂への登山道 11:25 |
緩やかな登山道 11:30 |
浸透枡は続く 11:38 |
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11:06 女人天上登山口に帰着 11:24 細尾野林道終点に帰着 女人天上から細尾野林道の柵迄戻ってきました。 女人天上からここまでの帰りの所要時間は約20分でした。ここからスタートし、女人天上を 見て、ここまで帰ってくるのに約50分ほど掛ったことになります。 今、登ってきた女人天上のコースは、通常はカットされるでしょう。 11:25 山頂への登山道 細尾野林道終点の標柱の傍に「山頂へ指導標」が有ります。ここから 登山再開です。 11:30 緩やかな登山道 緩やかな上り道が続きました。 11:38 浸透枡は続く まだ浸透枡が出てきます。間もなく三合目に到着します。 | ||||||||
三軒茶屋説明文 11:41 |
見晴茶屋説明板 11:39 |
見晴茶屋の説明文 11:40 |
明治末見晴茶屋写真 11:40 |
見晴茶屋弁財天坐像 11:40 |
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11:41 三軒茶屋説明文 三合目(三軒茶屋・中食堂)に到着しました。細尾野林道から15分かかり ました。 三軒茶屋の説明文によると『ここには江戸時代から茶屋(山小屋)が二軒ありま したが、古くから三軒茶屋と呼ばれていました。 ここからの見晴らしがよかったので、多くの登山者がここで休憩しました。 富士登山の行程では、早朝に麓の上吉田を発ち、ここで昼食をとることが多かったので、 後には中食堂とも呼ばれています。 茶店の傍らには道了・秋葉・飯綱の三神を祀った三社宮と称する社があり、富士講の 人々に信仰されていました。現在は石碑が残されています。』と解説しています。 11:39 見晴茶屋説明板 11:40 見晴茶屋の説明文 『三合目の茶屋で、茶屋の名は、富士五湖などを一望できたことに 由来する。隣接する茶屋「はちみつ屋」と合わせて、江戸時代から続く小屋である。 この見晴茶屋は、享和元年(1801)に江戸の八丁堀・築地・麹町の人々が奉納した弁財天 を祀ることから弁財室ともいう。この弁財天像は、河口湖の「仙元弁財天」を模したもので、 子授けを願う女性はこの像をなでて信仰した」とあります。 11:40 明治末見晴茶屋写真 説明板の写真です。画面中央に中食堂の看板が見れます。左側 が見晴茶屋、正面が三社宮、右側が見晴茶屋の休憩所、右の休憩所の奥がはつみつ屋 と推察しました。 11:40 見晴茶屋弁財天坐像 説明板に載っていた写真です。河口湖の「仙元弁財天」を模した ものというので河口湖の何処に祀られた弁財天か調べたけれど所在不明でした。 | ||||||||
見晴茶屋跡 11:43 |
三社宮跡? 11:43 |
蜂蜜屋跡 11:44 |
現在の三軒茶屋休所 11:46 |
三軒茶屋の見晴らし 11:46 |
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11:43 見晴茶屋跡 11:43 三社宮跡? 社のような建物だったので三社宮跡?としましたが、中を覗くと「三合目焼 印??]とか貼ってあるお札も神社に無関係のようでした。金剛杖の焼印所の建物のよう な気がします。 前出の三軒茶屋の説明文に「現在は石碑が残されています」と有りました。この建物の 左下に写っている石碑が該当するような気がします。 *****祀られている三社についてのメモ***** 道了尊 :大雄山最乗寺(神奈川県南足柄市)を了庵慧明(りょうあんえみょう)が創建する 時の弟子「道了尊」は不思議な力を発揮し大寺の建立に尽くし、最乗寺の守護 神として祀られ庶民の信仰を集めた。 秋葉権現:秋葉山(静岡県浜松市)の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神である。 火防の霊験で広く知られる。 飯綱権現:飯綱山(長野県北部にある山)に対する山岳信仰が発祥。足利義満や管領細 川氏、上杉謙信、武田信玄、徳川家康など武将の尊崇を得ていた。 11:44 蜂蜜屋跡 11:46 現在の三軒茶屋休所 残骸物が無くて広々清々としていました。 11:46 三軒茶屋の見晴らし 眼下に河口湖方面が見えていました。素晴らしい眺めです。誰もが 休憩したくなるでしょう。 ・・・・・この後の四合目へのルートは後篇に譲ります。暫くお待ちください・・・・・ ↑ ページトップへ |