***第8回目 2009.06.20(土) 本日の散歩は野田尻宿の続きから駒橋宿までの予定です。
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こちらから地図で経路が見られます→地図 |
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1.西光寺門前 |
2.西光寺本堂 |
2.西光寺冠木門 |
2.西光寺井戸 |
1.西光寺門前
門前を左側に進めば平和中学校・四方津方面、右に行き寺の裏側で左に巻き込めば旧甲州街道です。
2.西光寺本堂西光寺本堂です。
3.西光寺冠木門冠木門の左側には赤い前掛けを掛けお地蔵さんがひな壇のように沢山祭られていました。
4.西光寺井戸門前左側に山岡鉄舟が使ったという井戸がありました。
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1石仏群 |
2.石畳? |
3.林間の街道 |
4.県道(旧甲州街道) |
1.石仏群
西光寺裏側にある石造物群です。
2.石畳?中央自動車道に架けられた跨道橋で粋な計らいだと思いました。
3.林間の街道跨道橋を渡ると杉や松を眺めながら2〜300mのんびりと進んでいきます。
4.県道(旧甲州街道)林間の道を抜けると県道30号線になり、舗装道路を西に進んでいくことになります。右側には今渡ってきた中央道が並行して西に向かっています。
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1.富士講碑 |
-----2.荻野の一里塚跡----- |
3.周りの景色 |
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1.富士講碑
林間の道を抜けて右に折れ20mも進みます。右手に「嶽 大先達白倉宝行」と刻された富士講碑がありました。
富士講碑から更に200mも進んだ右側2mばかりの側壁の上に「荻野の一里塚跡」の標示板と杭があります。 下を向いて歩いていると通り過ごしてしまいます。
3.周りの景色 この辺は小高い所で左右がよく見渡せ気持がよい所です。ただし見えるものは名の知らない山ばかりです。 |
1.矢坪橋 |
2.交差点 |
3.供養塔 |
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1.矢坪橋
中央自動車道の跨道端です。荻野の一里塚跡から約1Km位西側になります。この橋を渡って「犬目宿」方面に向かいます。
2.交差点矢坪橋を渡りきったところの交差点です。真っ直ぐ進み中央の上り坂を登っていきます。
3.供養塔上り坂右手前に「大乗妙典日本廻国供養塔」があります。
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1.矢坪坂 |
2.続く上り坂 |
3.武甕槌神社 |
4.奥の細道 |
1.矢坪坂
供養塔の前を通って坂道に登りだすと直ぐ右側に細い坂道が出てきます。これが矢坪坂でした。矢坪坂を登りだすと「矢坪坂古戦場跡」の標示板が出てきます。戦国時代の甲斐と相模との戦の歴史が記されていました。
2.続く上り坂この細い上り坂は山の方に向かってどんどん続きます。まだ人家もあるので登っていきます。
3.武甕槌神社詰まる所に「武甕槌神社」の鳥居が出てきました。どんな神様か調べてみました。
4.奥の細道たけみかづち‐の‐かみ【武甕槌神/建御雷神】 日本神話で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が火神を切り殺したとき、剣に付着した血から化生(けしょう)した神。経津主神(ふつぬしのかみ)とともに、葦原の中つ国に派遣され、国譲りの交渉に成功。また、神武東征においても、天皇の危難を救った。鹿島神宮の祭神。 とありました。 この鳥居を超えると人家は一軒。そこを超えると、暫くして山林の中の細い道を進んで行くことになります。
思い出しました。余談です。この最後の一軒の家を通り過ごした時、突然犬に吠えられました。集落じゅうに聞こえるような吠えられ方でした。恐る恐る見てみると白い大きな犬が柵の中で飼われていました。恐怖心に駆られそそくさとそこを立ち去りました。 |
1.不詳な街道 |
2.矢坪金毘羅神社 |
2.眼下に県道 |
2.鉄柵でガード |
1.不詳な街道
今までずっと迷うこともなく道らしき道を辿ってきましたが、突如として道が分からなくなりました。というのも道に草が生えていて人の踏み跡が分からないのです。真っ直ぐ進めば県道に出てしまう。止むなく草を踏みしめ踏みしめ右側に進みました。
2.矢坪金毘羅神社暫く進むと右手に「矢坪金毘羅神社参道」の道標が出てきました。結果論ですがこの道標が出てくれば旧甲州街道を進んでいることになります。
3.眼下に県道どんどん進んでいくと眼下に車が走っていました。今歩いている所は崖の上ということになります。
4.鉄柵でガード道の左側を鉄柵でガードし安全対策が講じられていました。
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1.座頭転がし |
2.座頭転がしの右 |
3.??? |
4.先が明るい |
1.座頭転がし
高い崖の上が「座頭転がし」 ですが進入禁止です。そこから崖の下を覗くことは出来ません。
2.座頭転がしの右すぐ横の方を見ると木陰から崖下に県道の走っているのが見れました。崖の高い所に街道があることが分かります。
3.???座頭転がしの反対側(山側)頭上2mばかりの所に石祠がありました。
4.先が明るい暗い山林の中を暫く進んでいくと先方に明るいところが見えてきました。犬目の新田集落が近づいたことを教えています。
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1.新田集落 |
2.尾張の殿様定宿家 |
3.集落を振り返る | |
1.新田集落
座頭転がしの心細い山の中の街道を抜けると突如として集落が現われました。
2.尾張の殿様定宿家最近建て替えられたばかりの新築の門と塀、その奥には立派な邸宅。「旧甲州街道 新田宿尾張の殿様定宿家」という看板が掛けられていました。
3.集落を振り返る通りは概ね300m程度。集落を出るとき振り返って撮った写真です。静まり返った趣が往時を偲ばせます。
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1.石仏群 |
2.甲州街道の道標 |
3.立派なビル |
4.犬目への坂道 |
1.石仏群
新田集落から犬目へは下り道になります。途中、右上の小高い所にあった石仏群です。
2.甲州街道の道標更に下っていくと座頭転がしで眼下に見た県道20号線と合流します。安達野バス停です。ここを一寸進むと甲州街道の道標が右側に出てきます。
3.立派なビル白い4階建ての大きなビルが道沿いにありました。会社のビルのようです。こんな環境の中で、しかもこんな立派なビルで働ける人は羨ましい限りです。
4.犬目への坂道やがて道は上り坂になります。登りきれば犬目宿です。写真左上の木陰のあたりが犬目兵助の墓のあるところです。
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犬目宿は日本橋から二十一里七町五十六間(83.3Km)、下諏訪へ三十二里九町十六間(126.7Km) 天保14年(1843)で人口255名、総家数56軒、本陣2軒、旅籠15軒。 聖徳2年(1712)、現在の集落より600mばかり下にあった部落が現在の場所に移住し宿場となったということです。 |
1.犬目兵助の墓 |
2.犬目宿碑 |
3.牛頭観世音碑 |
4.犬目兵助生家 |
1.犬目兵助の墓
安達野バス停から犬目に向かう坂の左側を見ていくと「犬目兵助の墓」案内板があります。天保の大飢饉で「甲州一揆」を指導した人物の一人。逃亡生活。全国を徘徊して最後は古里に戻ったということでしょうか。
2.犬目宿碑道路左側、直売所(公民館)の前に犬目宿碑が建っていました。
3.牛頭観世音碑牛頭。珍しい観世音です。直売所の反対側(道路右側)の小さな石垣の上にありました。低い位置にあるので注意していないと見過ごしてしまいます。
4.犬目兵助生家道路左側。犬目兵助生家の標示板がありました。
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1.脇本陣跡 |
2.本陣跡 |
3.問屋場大津屋跡 |
4.犬目を振返る |
1.脇本陣跡
犬目宿の西端、道路右側。写真左側の石碑は明治天皇小休止跡碑。碑の右奥の2階屋あたりが脇本陣があった所らしいです。
2.本陣跡犬目宿の西端、道路左側。「甲州街道犬目宿案内板」が建っている奥あたりが本陣があった所らしいです。
3.問屋場大津屋跡本陣跡の道路向かい側(道路右側)が「問屋場大津屋跡」で、その先隣が旅籠屋であったそうです。
4.犬目を振返る犬目宿を振り返った景色です。
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1.門前 |
2.山門 |
3.本堂 |
4.慈母観音 |
5.空 |
1.門前
街道右側に龍澤山寶勝寺の山門があります。
2.山門段々を登っていくとやがて寶勝寺の山門。
3.本堂寶勝寺の本堂
4.犬目慈母観音寶勝寺の犬目慈母観音は、一本彫りの石で出来ており、日本一といわれています。
5.空直径2m位の石の球に「空」と彫ってありました。
「空」って何? カラのこと? 何にも無いこと? 無と同じ? なにをいみするのでしょうか? |
1.鳥居と不動明王 |
2.鳥居 |
3.不動明王 |
4.蕎麦さん |
1.鳥居と不動明王
寶勝寺を出て200mほど進むと右手に赤い鳥居と不動明王が出てきます。
2.鳥居白馬不動尊の鳥居だそうです。
3.不動明王天平年間、諸国にハシカが流行ったとき、天皇が名僧行基をつかわせ神の啓示を仰いだ所だそうです。 不動明王の石像
4.蕎麦さん赤い鳥居を過ぎてすぐの所に「瀧松苑」という蕎麦屋さんがありました。予約制らしいです。
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1.旧道入口 |
2.君恋温泉 |
3.古道出口前 |
4.古道合流点 |
1.旧道入口
瀧松苑から道は上り坂になります。約200m登っていくと右脇に甲州古道の入口が見えてきます。ここを入っていくと「君恋温泉」の前に出ます。
2.君恋温泉「君恋温泉」を横に見て進むと道は下りです。真っ直ぐ進まないで右に折れていきます。
3.古道出口前下り切ると沢になるので沢を渡って左側に巻いて出ます。
4.古道合流点暫く行くと県道30号線(旧甲州街道)と合流します。
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右の△をクリックしてください。
君恋温泉を過ぎ、君恋一里塚の所を歩いていた時です。
小鳥の鳴き声がこのうえなく聴こえてきました。 楽しげに鳴き続けるので暫し聴き入りました。 この小鳥の声は、その時咄嗟にデジカメで録音したものです。 |
1.一里塚1 |
2.一里塚2 |
3.一里塚3 |
4.一里塚4 | |||
君恋温泉を過ぎて古道合流点からほんの少し進むと左側に少し盛り上がった小山の恋塚一里塚が見えてきます。写真は一里塚を一周して東西南北の4か所から撮ったものです。
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1.恋塚集落入口 |
2.聖徳太子碑 |
3.馬宿 |
4.石畳 |
1.恋塚集落入口
写真の中の左上は鳥澤方面です。これからは鳥澤まで長い下り道になります。
2.聖徳太子碑恋塚一里塚から200mほど進むと道右側に恋塚集落の入口が見えてきます。「恋塚」の地名は、東国遠征の帰途にあった日本武尊が海神の生贄となった橘姫を偲んで思い沈んだことに由来するそうです。 恋塚集落に入ると直ぐ道の左側に「聖徳太子」とだけ刻まれた大きな石碑がありました。その言われは聞けませんでした。
3.馬宿写真で見ると余り大きく感じられませんが恐らく間口は20間以上かと思われます。そんな大きな家がドッカと建っていました。250年前の建物で馬宿に使われていた建物だそうです。
4.甲州街道の石畳集落の最西端、集落を出る所が50mほどの石畳になっていました。ここを抜けると県道30号線(旧甲州街道)と合流します。
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1.道標 |
2.境界 |
3.石造仏群 |
4.下り坂 |
1.道標
恋塚集落を出て旧甲州街道に出ると直ぐに「←鳥沢 甲州街道(石畳)→」の道標がありました。 なかなか甲州街道の案内整備が徹底しているようです。
2.境界更に進んでいくと上野原市と大月市の境界を示す表示板が出てきました。いよいよ大月市に入ります。
3.石造仏群道路側壁の3〜4mくらい高い場所に石造物群が見えました。以前はあの辺りが街道だったのでしょうか?
4.下り坂この近辺で歌川広重が富士三十六景「甲斐犬目峠」、不二三十六景が「甲斐犬目峠」を描いた所と推察されているが富士山は見えませんでした。もっと別の所かも??? さらに下っていくとズーっと向こうまで下坂が続いていました。山の間で何も見渡せない退屈な下り坂でした。
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1.石造仏群 |
2.中央自動車道 |
3.中央自動車道下 |
4.石造仏群 |
1.石造仏群
長い坂を下りきるとT字路になりました。T字路の向こう側にお地蔵さんや庚申塔などを祭った石造物群がありました。
2.中央自動車道T字路を左に折れて暫く下っていくと右側前方に懐かしい中央自動車道が見えてきました。
3.中央自動車道下中央自動車道を眺めながら進んで行き、中央自動車道の下で撮った写真です。もう間もなく鳥澤です。
4.石造仏群下り坂が終わり国道二十号線に出る左手前の道路側壁の上に石造物が祀られていました。
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下鳥澤宿は日本橋から二十二里十四町十間(87.9Km)、下諏訪へ三十一里ニ町ニ間(122.1Km) 天保14年(1843)で人口699名、総家数144軒、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠11軒。 |
1.鳥澤の街並み1 |
2.鳥澤の街並み2 |
3.福地八幡社 |
4.コノテガシワ | |
1.鳥澤の街並み1
鳥澤の街に入った所で西側を見た所です。
2.鳥澤の街並み2鳥澤の街に入った所で東側を見た所です。
3.福地八幡社鳥澤の町並みは街道の趣が色濃く残っていたように感じました。特に各家の庇が道路側に広く出ていて旅人の便宜を図っていたような造りに思えました。 道路右側の奥に上った所。折角来たのですから境内まで行って社殿を眺めてきました。高い所から見た鳥澤の街もよかったですよ。
4.コノテガシワ道路右側、鳥澤小学校東端道路沿いに大月市指定の天然記念物「コノテガシワ」があります。木の葉が本当に幼児の手のような形をしています。
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上鳥澤宿は日本橋から二十二里十九町四十間(88.5Km)、下諏訪へ三十里三十三町三十ニ間(121.5Km) 天保14年(1843)で人口650名、総家数151軒、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠13軒。 |
1.鳥澤一里塚跡 |
2.上鳥澤本陣跡 |
3.上鳥澤街並1 |
4.上鳥澤街並2 | |||
鳥澤駅入り口交差点の手前約50m、道路右側に鳥澤一里塚の標柱がありました。気をつけていないと素通りしてしまいます。
2.上鳥澤本陣跡 道路右側に「明治天皇駐蹕地碑(ちゅう‐ひつ-ひ)があります。この地が上鳥澤宿の本陣であったようです。
3.上鳥澤街並1上鳥澤宿で眺めた街並みです。
4.上鳥澤街並2上鳥澤宿で眺めた街並みです。
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1.古道入口 |
2.下り坂 |
3.石仏群 |
4.合流点 |
1.古道入口
国道20号線道路右側に三栄工業の大きな看板が立っています。ここから右側に入っていきます。 旧道は約500mばかり続き再び国道20号線と合流します。
2.下り坂旧甲州街道は最初は坂道を上っていきますが、暫くすると下り道になります。
3.石仏群坂を下りきると右側の小高い所に馬頭観音が祀られています。
4.合流点橋を渡ると上り坂になります。坂を登りきると国道20号線に再び合流します。国道の向こうには桂川が見られます。
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1.自動販売機 |
2.小屋 |
3.国道20号線1 |
4.国道20号線2 |
1.自動販売機
前出の国道20号線合流地点から約600m位進むと右側に自動販売機と赤い郵便ポストのある家(前田商店 今は店はやっていません)の所から甲州古道は右側の道に入っていきます。
2.小屋右に入って直ぐに左に曲がります。100m程で薪小屋に突き当ります。
3.国道20号線1薪小屋の手前を左に曲がって小道に沿って下っていきます。直ぐに国道20号線に出ます。写真は国道20号線に降り切る手前で撮ったものです。
4.国道20号線2国道20号線に出たら横断して宮谷橋標識手前で道路左側の側壁を河原に向け降りていきました。かなり下まで降りたのですが、道なき道を降りたので藪が凄くなり、止むなく20号線に引き返しました(道がないのか、道を間違ったのか分かりません)。宮谷入口交差点まで進み、先ほどの行き先だった「精進場」に向かいました。
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1.精進場へ |
2.精進場 |
2.石造物群 |
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1.精進場へ
宮谷入口交差点で左折して桂川の精進場に向かいます。
2.精進場かって精進場だったろう場所につきました。ここで旅の汚れを落とし体を清めたということです。今はあちこちに釣り人の楽しげな姿が見られました。
3.石造物群河原の小高い所に石造物群が祀られていました。富士講のものも見られました。
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1.狭い歩道 |
2.古道分岐 |
3.古道右折 |
4.交差点 |
1.狭い歩道
精進場から国道20号線に戻り、非常に狭い歩道で猿橋に向かいます。
2.古道分岐右側に東町自治会館が見えたら左折して古道に入ります。
3.古道右折古道に入ったら50mほど進み直ぐに右折します。細い道を50mほど進んでいくと再び国道20号線の交差点に出ます。
4.交差点国道20号線を横断して県道505号線・右側の道に入っていきます。この先が猿橋です。
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猿橋宿は日本橋から二十三里十町十間(91.4Km)、下諏訪へ三十里七町ニ間(118.6Km) 幕末時点(天保14年)で人口542名、家数138軒、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠10軒 大月市内に存在した宿場町の中では最大のものだったそうです。 |
1.猿橋入口 |
----------2.猿 橋---------- |
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1.猿橋入口
県道505号線を200mほど進むと左側に「猿橋入口」の道標が見えてきます。
2.猿 橋道標のすぐ左側が日本三奇橋の一つ「猿橋」です。木曽(きそ)の桟(かけはし)、岩国の錦帯(きんたい)橋とともにわが国の三奇橋の一つです。
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1.明治天皇の碑 |
2.道標 |
2.あじさい |
2.郷土資料館 |
1.明治天皇の碑
明治天皇駐蹕地碑です。
2.道標猿橋の展望台から戻ると「猿橋公園」への道標があります。
3.あじさい公園への行きすがら紫陽花の花を楽しみました。
4.郷土資料館資料館には猿橋の模型や大月祝の町並みの模型があるそうですが時間が遅く閉館していました。
資料館の南側の上り坂を道なりに約200mほど進むと国道20号線に合流します。 |
1.石造物群1 |
2.石造物群2 |
-------3.三島大明神------- |
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1.石造物群1
国道20号線に出て約200mほど進むと道左側に馬頭観世音その他の石造物がありました。
2.石造物群2二三夜塔と道祖神です。この所在地は失念してしまいました。忘却のかなたです。次に出てくる三島大社のすぐ手前、道路右側だったように思いますがはっきり思い出せません。
3.三島大明神先ほどの馬頭観世音から約500ほど進んだ道路右側にあります。
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-----1.青面金剛の庚申塔----- |
2.阿弥陀寺入口 |
3.殿上村一里塚跡 |
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1.青面金剛の庚申塔
三島大明神を出て100mほど進むと、国道は左カーブします。その左側の一角が空き地になっていて道路際に庚申塔が取残されたように祀られています。
2.阿弥陀寺入口青面金剛の道路反対側(道路右側)が阿弥陀寺の入口です。
阿弥陀寺の門柱の直ぐ左側に第3自治会防災倉庫がありますが、その前に「殿上村一里塚跡」の標示杭が立っています。ここも気をつけないと見落としやすい所です。
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1.旧甲州街道分岐 |
2.東京送電水力発祥の地 |
3.タービン |
4.駒橋発電所送水管 |
1.旧甲州街道分岐
阿弥陀寺から約100mほど進むと道路左側に山梨中央自動車販売センターがあります。同センターの前の下り道が旧街道です。
2.東京送電水力発祥の地道なりにどんどん降りて行くと東京電力新駒橋寮があります。この寮の前庭に「東京送電水力発祥の地 」の石碑が立っています。
3.タービン明治40年(1907年)に駒橋発電所から東京に初めて水力電気が送られたとのことである。 寮の左側の建物の前に赤い大きなタービンが飾られていました。第1号の水力タービンでしょうか?
4.駒橋発電所送水管新駒橋寮まで来ると街道から脱線です。少し道を戻って右側に上がっていきます。途中、発電所への太い送水管が間近に見れます。
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1.分岐 |
2.坂道 |
-----3.無人踏切----- |
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1.分岐
送水管を見たら直進せずに左側に入っていきます。
2.坂道小さな坂道を登っていきます。桜の木が沢山植わっていました。春先の景色を想像しながら進みます。
3.無人踏切中央線の無人踏切になるので通過すると直ぐ国道20号線に出ます。
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駒橋宿は日本橋から二十三里三十二町十間(93.8Km)、下諏訪へ二十九里ニ十一町ニ間(116.2Km) 天保14年(1843)で人口267名、総家数85軒、旅籠4軒。 |
1.分岐 |
2.駒橋に眺め |
3.厄王大権現 |
4.紫陽花並木 |
1.分岐
中央線の無人踏切から国道20号線に出たら国道20号線を進まず直ぐに右折し緩やかな下り道を進みます。
2.駒橋の眺め1国道20号線と違い静かな眺めです
3.厄王大権現街中を200mほど進むと右側に厄王大権現が見えてきます。このあたりから道は上り坂になります。
4.紫陽花並木坂道の左側には紫陽花がずっと植栽されていて綺麗な花を咲かせていました。疲れてくるころタイミング良く美しい景色に出会えるのが楽しいです。この坂道を登り切れば国道20号線です。
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1.旧道分岐 |
2.岩殿山 |
3.街並み |
4.浜野屋 |
1..旧道分岐
国道20号線を300mばかり進むと右手に「満北亭」が出てきます。旧道はその前を右折して進みます。
2.岩殿山暫く進むと真正面に「岩殿山」が目に入ってきます。
3.街並み今しばらく進むと「JR大月駅」です。街も段々賑々しくなってきました。
4.浜野屋大月駅前の今も盛んな和風枠膳の浜野屋です。富士講や甲州への行きかう人々の往時のエピソードがどっさりあるだろうな。そんな空想を抱いて写真を撮らせてもらいました。
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***第8回目 2009.06.20(土)晴***
本日の散歩は野田尻の続きから駒橋宿までの約16Kmで終了です。 野田尻から大月=約16Km、歩数計=41513歩 歩行時間 9:00〜18:00 内休憩30分=実質歩行時間 8時間30分 |